2019年10月31日木曜日

蜜蜂と遠雷



蜜蜂と遠雷

2週間ぐらい前に観に行ってきた。

映画館の中では何故か嗚咽と涙が止まらなかった。それほど感動的だったとは思わないが、心に直接訴えるものがあったのだろう。

無理やり、その時の記憶を引き出してみると、極めてシンプルなメッセージが出てきた。

「覚悟」

人は色々な場面で覚悟を求められる。

頑張りとか開き直りとか。ふてくされたり。自暴自棄だったり。でも、本当に極まった時の覚悟とはどんなものだろう。



ふと、心をよぎったものがある。

自分を受け入れること。

自己否定と自己肯定は成長の両輪などといっていたら、これはきれいごとだな。

何も持っていない。無知。無能。生の原点。すべてを失うこと。これを受け入れることが覚悟ではないか。

覚悟は自分を自由にする。自分を解き放つ。

もしかすると、覚悟は自分を一度殺すことかもしれない。自殺者の心理もこの覚悟の領域にあるのかもしれない。死ぬことで、自由を手に入れる。



映画では、壁に突き当たる女性が描かれていた。トラウマが演奏を邪魔するような。演奏は悲壮的だが、自由ではない。

こだわりから抜けるには、今の自分を捨てること。

現体験を受け入れる。



不満のない人生などないだろう。誰だって不満を抱えている。不満を踏まのまま抱えていては、自由な自分を取り戻すことは出来ない。



映画は不自然な設定。日本が国際ピアノコンクールのセンターには無理がある。中途半端な英語も嫌だな。



ストーリーは面白いが妙竹林。

蜜蜂も遠雷もよく分からない。

ピアニストは自然界の音(?)を演奏で解き放つとでもいうのだろうか。

ピアノを聞き分ける耳はない。小説の原作はもっと面白いだろうが、音楽好きでないと世界は広がらないかもしれない。

スマホを落としただけなのに




スマホを落としただけなのに

Amazon Primeで視聴出来るようになっていた。割と最近の公開の映画だけど、興味深い。

早速観てみた。

何か今一。一人一人の抱えているものが重すぎて、何もスマホを使わなくても、十分展開する材料はあるというか、消化不良になりそうだ。

犯人側の視点、背景なども不十分。

リスクマネジメントの観点で見ても、本来もっとやることがありそうだけど。

着眼は面白いけど、この問題は映画どころの問題ではないことを示唆している。あまり参考になる内容の映画ではないが、油断はできない。

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