2020年1月28日火曜日

空飛ぶタイヤ


空飛ぶタイヤ

三菱自動車だったか三菱扶桑だったか忘れたが、もう何年も前に起きたトラックタイヤの脱輪に伴う事故が問題になった。

それを題材に池井戸潤が小説に設えたのが邦題の空飛ぶタイヤ。その本も読んだはずだが印象に残っていない。

映画化かドラマ化は忘れたが、その放映も既に何年も前のこと。

すでに何度か地上波でも流されている筈。

いずれも印象にない。

最近になってかどうかは知らないが、アマゾンプライムにも流れてきていた。

適当なものがなかったので流し観ることに。

しかし、今回も希薄な印象しか残らない。

エンディングのサザンの歌だけが、何かを訴えるように響いてくる。

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最近の桜を見る会の問題でも、加計学園の問題でも、森友幼稚園??の問題にも通じるが、正義を成すのは常に難しい。

上に立つもの、強いものが正義を踏みにじるからだ。ご都合が正義を歪める。

それが分かっているから、一つや二つの勧善懲悪を見せられても、虚ろからは抜け出せないのだろう。



もう一つ始末が悪い要素は組織のDNA。組織の自己防衛能力が人を悪者にして使う。組織が人を歯車に帰る。例えトップでも。

文化遺伝子のもう一つの潮流が組織遺伝子。



飛行機事故を思い浮かべるとストーリーは容易に想像できる。

ボーイングがセンサーフィードバック回路の設計ミスを認めた一連の事故でもそうだが、メーカーが設計ミスを認めることは稀だ、

パイロット/ドライバーの操作ミス。疲労、飲酒、病気、不注意などの人的要因に目を向ける。

次に整備不良。パーツ類の劣化。

漸く、製造不良に辿り着く。ここでも、人的要因が入り込む。パーツ不良も入ってくる。

これをクリアすると、製造技術の問題に目が向けられる。方法論の妥当性だ。

その先が設計ミス。しかし、設計ミスを理解できるのは相当の技術者に限られる。企業秘密もあるので、入り込んで指摘できる人、検証できる環境は少ない。



さらなる問題は、どのような問題も再h祖から不正で出発している訳ではないこと。最初は誰もが正義の徒になっているのだ。

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